HOME > 吉野の歴史 HISTORY

壬申の乱で吉野から挙兵

古代最初の内乱である「壬申の乱」では、吉野が日本史の重要な役割を果たしました。
671年皇太子であった大海人皇子は、政争から一旦逃れ吉野にやってきます。
8カ月間吉野で充電した皇太子は、672年吉野を出陣して「壬申の乱」に勝利し、日本で最初の統一国家を樹立しました。

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役行者が修験道を開いた土地

修験道は、山や岩・草木まで神が宿ると考える自然崇拝と、一部の仏教が混ざり合い、自然の山々で心身を鍛練し、悟りを開いていく宗教です。
役小角という人が、7世紀に吉野の山々で最初に修業し悟りを開いたのが最初とされます。

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義経が吉野に逃れる

源義経は、日本で最初の武士政権を作った源頼朝の弟で、日本史において一番人気のある悲劇のヒーローです。
宿敵の平家を破った最大の功労者でしたが、兄と方向性が合わず幕府から追われることになります。
1185年義経は愛人でダンサーの静御前と一緒に吉野に隠れますが、間もなく追手が来て二人は離ればなれとなります。
この物語は歌舞伎や文楽の「義経千本桜」という中で扱われており、日本人が最も好きな演目です。

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歌人の西行が吉野に庵を建て 3年間桜の歌を詠む

西行は12世紀の人で、日本で最高の歌人と呼ばれています。
その西行は花と旅が好きで花の中でも吉野の桜を愛した人で、西行はここ吉野で3年間過ごし吉野の桜の歌を数多く詠んでいます。
その西行に憧れた俳句の第一人者・芭蕉も、17世紀に吉野を訪れています。

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後醍醐天皇が吉野で都を開く 南北朝時代

後醍醐天皇は14世紀の人で、一度は鎌倉幕府を倒しますが、武士の不満を抑えきれず、再び武士の国となります。
その後後醍醐天皇は吉野に逃れ朝廷を開きました。
これを京都の北朝にたいして、南朝と呼ばれました。
京都と吉野に都がある「南北朝時代」は57年間続きました。

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安土桃山時代に豊臣秀吉が「吉野の花見」を行う

戦国時代を終わらせ、日本全国を統一して天下人となった武士が豊臣秀吉です。
彼は1594年、5000人の武士を連れて、日本一と有名な吉野山に花見に訪れました。

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吉野 …春の花見(桜)において
日本中で最も美しくて有名な所…
南朝があった所として、
豊かな歴史のある所として、
心配りのある小さな町です。
ようこそ吉野へ