祈りと桜の国 吉野
吉野と桜の歴史
桜は日本人が最も好きな花です。
日本には四季があり、厳しい冬の寒さを耐えてきたからこそ、春の訪れを心から待ちわびる気持ちが強いのです。
その春の訪れを表す花が桜なのです。
そして、その日本人なら誰でもが訪れたい桜の名所が吉野です。
吉野の桜は、他の日本にある桜の名所のように平地に植えられた桜ではなく、山一面に咲く桜で、他では決して見る事の出来ない桜です。
それは次のような歴史から始まりました。
7世紀の中頃(ヨーロッパではイスラム軍がコンスタンティノーブルを攻めた頃)、日本は中国にならって強い国家にとなる為、急激な政治改革を行いました。
しかしその為に庶民は苦しむことになります。この苦しみを救いたいと立ちあがったのが役小角という人物でした。
彼は庶民を救う為に吉野の山中に入り、千日間の修行をしながら人々を救済する神を探し求め、ついに親が愛する子を叱るかのような姿の蔵王権現が現れます。
このお姿こそ庶民を救える神だと思った役小角は、傍らにあった桜の木その姿を刻みお祀りしました。
それから吉野では桜は聖なる木となりました。
その為吉野山に多くの人々が祈りを込めて桜を植え始め、今日のような桜の山になりました。
修験道と祈り
役小角が起こした自然の山々で心身を鍛練し、悟りを開いていく宗教は修験道と呼ばれます。
ヨーロッパにキリスト教が入る前のケルトの自然観・宗教観に似ています。
修験道は、山や岩・草木まで神が宿ると考える自然崇拝と、一部の仏教が混ざり合い、自然の山々で心身を鍛練し、悟りを開いていく宗教です。
その総本山(Headquorters)が吉野にあります。
毎年夏場には、吉野には行者(普段は商人等の民間人)が数多く訪れ、修業をされています。
そんな祈りの場としてのお寺や神社と修業の道が、2004年世界遺産に登録されました。
ヨーロッパのスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道に続き2つめです。
修験道の根本理念として、他人の気持ちを思いやる事や他人の立場になって許す事があげられます。
厳しい修業をするのも、自分を鍛える為だけでなく、他人を救う力を身につける為です。
世界が宗教間や民族間の対立が鮮明となっている現代。
新たな価値観として吉野の修験道が見直されています。
吉野は古来より、時の政権から追われたモノ(天武天皇・義経・後醍醐天皇)が逃げ込む場所が吉野だとされました。
それは修験道の勢力を頼みにしましたが、吉野の自然がより傷ついた心を優しく包んでくれたことでしょう。
何か傷ついた時、自分探しをしたい時、この吉野が優しく貴方を迎えることでしょう。
祈りと桜の国・吉野へようこそ。