大津皇子の物語② 訳語田(戒重にある春日神社)

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戒重 神社3

日本書紀の記述を『大津皇子「悲劇の皇子」伝説の解剖』によると、「皇子大津は訳語田(おさだ)の舎で死を賜った。時に年二十四。妃の山辺皇女は髪を乱し、はだしで走り出て殉死した。見る者は皆すすり泣いた。皇子大津は天武天皇の第三子で、威儀備わり、言語明朗で天智天皇に愛されておられた。成長されるに及び有能で才学に富み、とくに文筆を愛された。この頃の詩賦の興隆は、皇子大津に始まったといえる」とされます。ここに出てくる訳語田の舎は、桜井市戒重にある訳語田幸玉宮伝承地で、この宮は後に大津皇子の邸宅となった場所と伝えられています。場所は国道169号線の阿部交差点を北上し、近鉄大阪線の下をくぐるとすぐの右側にあります。

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