吉野の地名㉓ 矢治

吉野中西部 中荘・国栖方面

矢治峠

吉野町の地名は中荘地区に入ります。まずは矢治地区。矢治とは谷間村落をあらわす谷地(やぬち)のことと吉野町史には書かれています。矢治といえば壬申の乱の出陣の際、大海人皇子一行が「壬申の乱」で最初の難所がこの矢治峠を登場します。次に矢治がクローズアップされるのは「竜門騒動」の時です。今は中荘地区となる矢治は、200年前は龍門郷にあり、12月15日の竜門騒動当日は本来参加すべきところ、ほんの些細な事で情報が伝わらず、矢治は参加する事が出来ませんでした。そして矢治が騒動に参加していない事がわかり、奉行所からお咎めを受けた他の村人達から「裏切者で奉行所よりだ」と言い、このことに怒りを覚えた村人たちは矛先を矢治に向け、矢治峠を越えて矢治に攻め入ろうとしました。しかしこの時矢治峠の越えられないほどの嵐に発生し、村人はそのまま引き返したというのです。ここ矢治にはヌノ宮神社があり、前にあるヌノ池の主(龍神)を祭神とし、この龍神がこの時に大雨を降らせたという伝説があります。その為この神社の祭りは、竜門騒動が起こった翌日12月16日に毎年行われており、毎年つがいの大きな鯉を池に放流しています。平尾地区とこの矢治地区の竜門騒動のとらえ方は真逆で、大変興味深いものがあります。

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