吉野の万葉歌 巻18-4098

吉野万葉の歌碑を歩く

宮滝岩表紙吉野の万葉歌紹介最後です。 巻18-4098 注釈として、吉野の離宮に幸行さむ時の為に儲け作る歌一首とあります。大伴家持は越中守として赴任中、聖武天皇の吉野行幸に従う日の為にこの歌を作りました。家持は官僚としては不遇でしたが、『万葉集』の編纂に加わり、全歌4516首のうち473首を占め、文句なしのNo1です。家持にとって先輩の人麻呂や赤人らのように、聖武天皇に従って吉野に行き、吉野の歌を詠む事が彼の大きな夢だったことが推察されます。吉野を詠った万葉歌は約90首あると言われています。ここで取り上げたのは1/3以下ですが、万葉集に数多く詠まれた地に住んでいる事に誇りを感じます。

 

「高御座 天の日継と 天の下 知らしめける 皇祖の 神の命の 恐くも 始めたまひて 貴くも 定めたまへる み吉野の この大宮に あり通ひ 見したまふらし もののふの 八十伴の緒も 己が名負ひて 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく この山の いや継ぎ継ぎに かくしこそ 仕え奉らめ いや遠長に」

 

・・・日の神の世継として天下を治めてこられた代々の天皇が、神として恐れ多くも治めてこられたこの吉野の宮滝の大宮を、そんな大宮として我らが聖武天皇はここに通い続けては、貴い昔の歴史をご覧になっている。我ら大勢の宮人たちも、わが身に負える家名をしっかりと背負い、天皇の仰せのままに、この吉野川の流れが絶えることがないように、この山々が幾重にも重なり続くように、子から孫へと次々にお仕えしようではないか。いつまでも いつまでも・・・。

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