吉野万葉歌碑を歩く⑦

吉野万葉の歌碑を歩く 吉野中西部 中荘・国栖方面

柿本人麻呂

旧中荘小学校前にあるのが、この万葉歌碑です。

持統天皇が吉野宮に行幸した際に同行した柿本人麻呂が作った歌で

「やすみししわご大君の聞し食す 天の下に国はしも多にあれども

山川の清き河内と御心を吉野の 国の花散らふ秋津の野辺に宮柱

太敷きませば百磯城の大宮人は 舟並めて朝川渡り船競ひ夕川渡る

この川の絶ゆることなくこの山の いや高知らす水激つ瀧の都は

見れど飽かぬかも」         万葉集巻1-36 柿本人麻呂

意味は「わが大君のお治めになる国はたくさんあるが、山や川の美しい

河内とみ心をお寄せになる吉野の国の、花が散る秋津の野辺に、

宮柱を太くお立てになって宮殿を営まれると、大宮人たちは船を並べて

朝の川を渡り、夕を競って夕べの川を渡る。この川の流れのように

絶えることなく、この山のように高く立派にお治めになる水流激しい

瀧のほとりの宮居は、いくら見ても見飽きないことだ」

反 歌

「見れど飽かぬ吉野の川の常滑の 絶ゆることなくまた還り見む」

                 万葉集巻1-37 柿本人麻呂

意味は「いくら見ても飽きない吉野川、この川の常滑のように、

絶えることのないように、瀧の都をまた訪ねきてみよう」

 

大変スケールの大きい歌で、吉野川を大宮人が浮かべる幾槽もの船が

並んで進む光景は、今では信じられないですが、当時の水量の

多さを物語っています。心も体も癒されたリゾート地だった事でしょう。

スマイルバス停は宮滝 河川交流センターの道を挟んだ前です。

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