吉野の地名⑮ 国栖

吉野中西部 中荘・国栖方面

吉野町国栖の地名が歴史に登場するのは「古事記」からです。神武が吉野で出合う3人の生尾人1人で、岩を押し分けて出てきます。神武が「お前は誰か」と聞くと、「私は国つ神で、名は岩押分の子と云って、天つ神の御子がおいでになると聞いたので、お迎えにまいりました」と答えていています。(これは吉野の国栖の祖先です)と記されています。

「古事記」は国主・国巣、「日本書紀」では国樔、「万葉集」では国栖の文字を充用しています。樔は土蜘蛛をイメージさせ、岩を押し分けてという表現は穴居生活を営んでいた事を想像させます。又大海人皇子が出陣する際には皇子の支援したことが、その後の吉野のイメージの原点を作りあげました。いずれにしろ、国栖という地域は、中央集権国家成立以前に存在し、時の権力に靡かず、独自のアイデンティティーを持った誇り高き人達だったことを思わせてくれます。

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