大海人皇子所縁の地ウォーク

スマイルバスで行く吉野

このコースは、11月17日(土)に近鉄吉野線100周年記念イベントの一環として実施されます。吉野のコミュニティバス(スマイルバス)を使って壬申の乱と大海人ゆかりの地を訪ねます。

壬申の乱と大海人ゆかりの地を歩く

壬申の乱は、古代史ファンの中でも最も興味深い戦いの一つです。671年大津を離れた大海人皇子は飛鳥を経由して吉野に入ります。そこで8カ月英気を養った皇子は、672年吉野から大津を目指し、ついに戦いに勝利し、日本で最初の統一国家を樹立させます。

ここでは、前半は記紀の史実に従い、吉野の宮(宮滝)から矢治峠を越えます。後半は大海人の伝承が残る国栖の地を歩きます。

 このコースは11月17日(土)に実施されます  小雨決行

お申し込みはこちらからお願いします。

 

⇒はスマイルバス利用区間  ・・・は徒歩区間  太字はバス停を表しています

※記載している時間はあくまでも目安です

 

■参加費設定   2,000円(昼食代・資料代・バス代)

■歩行距離     9Km

■所要時間    4時間20分

■利用交通    スマイルバス2回

■道沿いにあるフードスポット

なし

■道沿いのショッピング

福西和紙本舗(手漉き和紙) 吉野製箸組合(割箸商品)  空工房(ガラス製品)

■トイレ場所   入野    製箸組合

 

 お申し込みはこちらからお願いします。

 

説明のポイント

■矢治峠入口

 大海人皇子は、672年6月24日(7月27日)朝、ついに吉野宮を出て戦うことを決意し出陣しました。

宮滝から東国へ行くには矢治峠越えが最短コース。

最初は国栖の屈強な若者が大海人皇子の輿を担いだとさます。

ほんの短い間でしたが、国栖の人々と大海人皇子には大きな絆が出来たようです。これからが一行を待ちうける難所が矢治峠です。

■矢治峠

道黒岩重吾の「天の川の太陽」では、・・・山道は険阻だが鬱蒼と繁った樹木が灼熱の太陽を遮ってくれる。・・・少し急な坂ですが我慢して一気に登ると、写真のような綺麗な津風呂湖の景色が眼下に広がります。

この景色が疲れを癒してくれる薬となります。

 

■津風呂春日神社

 矢治峠を越えて辿りつく先は津風呂湖となりますが、当時は津振川という川でした。

そしてこの近くにあるのが津風呂春日神社。峠を越えた大海人一行は、この津振の地で隊伍を整え、宇陀に向けて再出発しました。

ここでも国栖の若者たちが、輿に女人を乗せ津振川を渡ったといいます。

 

 

 

■ばば河原

大津から吉野で逃れた皇子と、国栖の人々が描かれている能が「国栖」です。

物語の展開は、食べるのも食べず吉野に逃れてきた皇子に、シテの国栖の翁は吉野川で釣ったばかりの鮎を差し上げます。

そして突然小鼓が鳴り、狂言師演じる大津の追手が現れます。

そこで機転を利かせた翁が伏せた舟の中に皇子を隠し、大津の追手を巧みに追い返すというススリングなストーリーが、このババ河原で展開されています。

■犬塚

能の「国栖」とは違うストーリーが、ここ地元では残されています。

皇子が伏せた舟に匿わるまでは同じですが、大津の追手は人間ではなく犬だったのです。

追手の犬が舟の周りをかぎつきだしたので、翁はとっさにやむなく石で犬を叩き、元国栖小学校がある山に葬られたそうです。

それ以降この地では犬を飼うことが無くなり、今でも犬を飼っている家はないそうです。1340年前の古代と、現代が今も繋がっているのが窪垣内です。

 

■浄見原神社

 ここは国栖奏が開催される浄見原神社。

天武天皇が浄見原天皇と呼ばれていたり、天武天皇が営んだ宮が飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)であったりすることからも、大海人皇子とは関わり深い神社といえます。

能「国栖」で、大海人皇子が半分食べた鮎を貰った翁が、この鮎で皇子の将来を占う為半身の鮎を吉野川に放ち、見事元気に泳ぎ未来を予言する場面もあり、この近くの淵を片腹渕とも呼ばれます。

鮎は吉兆を占う魚でもあったようです。

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