本居宣長「菅笠日記」を歩くー11月19日(土)

このツアーは定員になりましたので、募集を締め切りました。
江戸時代の国文学者で、「古事記伝」の著者:本居宣長の両親は、中々子供に恵まれませんでした。

彼の父親が当時から子授けの神として知られていた吉野水分神社にお参りし、そのお蔭をもってこの世に生を受けたのが本居宣長です。

彼が42才の時に、自分のルーツともいうべき吉野を訪れます。しかも時期としては花の吉野山も目的の一つです。

その際の吉野の様子を日記にしたためたのが、この「菅笠日記」です。1772年当時の吉野の風景を、宣長の眼を通して体験してみませんか。

■募集詳細

集合日時 1119() 10(全行程6.8Kmで、上り坂が多いコースです)

集合場所 吉野駅(初めての駅です。お間違いのないようにお集まりください。)

参加費  2000円

募集人員 20名限定です

■お勧めポイント

  • 菅笠日記の描く250年前の吉野の風景と、現在の風景を見比べて歩く事になります。
  • 最近は平坦で歩行距離も短いコースでしたが、本格的に歩くコースです。
  • 昼食は上千本の太鼓判さんでいただきます。
  • 帰りに雨師観音近くの「一日文学館」に立ち寄ります。ここでは与謝野晶子・正岡子規・夏目漱石・田山花袋・北原白秋など明治期の文豪の初版本や自筆原稿を見る事ができます。当日は「明治の文豪 筆跡展」をご覧いただけます。

■行  程

吉野駅10:00 ・・・ 四手掛明神 ・・・ 銅鳥居 ・・・ 蔵王堂 ・・・ 吉水院 ・・・ 勝手神社 ・・・ 竹林院 ・・・ 13:00太鼓判(昼食) ・・・ 夢違い観音 ・・・ 世尊寺 ・・・ 吉野水分神社 ・・・ 一日文学館 ・・・ 15:25上千本口バス停15:30 ⇒⇒ 15:46吉野神宮駅

銅鳥居

菅笠日記では「ここはよしの山の町の入口で、これからは民家が建ち並んで続いている。二、三丁ばかり行って石の階段を少し上った所に、大きな銅の鳥居が建っている。「発心門」に記した額は弘法大師の書かれたものをいう。

また二丁ほど行くと石の階段の上に、仁王の立っている門がある。この辺にも桜があって、満開の木もたくさん見える。・・・」と書かれています。

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蔵王堂

「掛けてある垂れ幕を上げて拝見すると、とても大きな御像が怒った顔をして、片方の足を上げてはなはだ恐ろしい形相で立っておられた。堂は南向きで正面も奥行きも十丈(33m)あまりあるという。建築とても古く見えた。前に桜を四隅に植えてあり、四本桜というらしい。」と記載されています。

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■吉水院

「後醍醐天皇がしばらくおられた所で、その当時のままに残っている所へ入ってみると、なるほど古びた建物の様子は、ありふれた所とは見えず、口にするのも恐れ多いことだけれど、(中略)この寺の境内にささやかな建物があり、前の方が開けて見渡す景色はとてもよかった。」と記載されています。

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吉野水分神社

「毎朝子守の社の方に向かって拝みながら、特にもう一度お参りしたいと思い続けてきたことだが、ほかのことにまぎれて三十年がたってしまった。今年四十三になってこうして参ることができたのも、子守の神との因縁浅からず、長年の本意がかなえられた気持ちになって、とても嬉しい気持ちの中にも、今はなき父母への悲しみと、その恩への感謝の思いに流れる涙はただひとつであった。」と記載され、自分が生を受けた場所に感動します。本居宣長の墓には吉野山のシロヤマザクラが植えらえました。

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■一日文学館

正岡子規・与謝野晶子・北原白秋・夏目漱石など明治の文豪の初版本や自筆原稿が揃う文学館です。何故こんな所に?と思わす所です。江戸時代の本居宣長とは時代は違いますが、この日は「明治の文豪筆跡展」を見て戴きます。

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