万葉歌碑巡りウォーク

スマイルバスで行く吉野

このコースは、9月29日に近鉄吉野線100周年記念イベントの一環として実施されます。吉野のコミュニティバス(スマイルバス)を使って吉野の万葉歌碑を訪ねます。

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吉野町には飛鳥時代に吉野宮があり、持統天皇は吉野に来るたびに柿本人麻呂などの万葉歌人らも同行しておりました。

そのお陰で吉野には宮滝・喜佐谷・菜摘・秋津・六田などに100首近くの万葉歌が残されています。これら万葉集が詠われた地にある万葉歌碑を巡りながら、万葉に詠われた吉野に思いをはせてみませんか?

このコースは9月29日(土)に実施されます  小雨決行

 

⇒はスマイルバス利用区間  ・・・は徒歩区間  太字はバス停を表しています

※記載している時間はあくまでも目安です

 

■参加費設定  2,000円(入館料・昼食代・資料代・バス代)

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■歩行距離    6.2Km

■所要時間    4時間18分

■交通機関    スマイルバス2回

■道沿いにあるショッピングスポット   梅谷味噌醤油店

■トイレ場所

吉野歴史資料館  桜木神社

■万葉歌碑

①歴史資料館前   読み人知らず    万葉集巻10-1868

②旧中荘小学校前    柿本人麻呂   万葉集巻1-36

③喜佐谷民家前   弓削皇子     万葉集3-242

④桜木神社境内   山部赤人     万葉集6-924

⑤喜佐谷奥     読み人知らず   万葉集8-1131

⑥菜摘十二社     湯原王     万葉集3-375

 

歩き方のポイント

■スマイルバス乗場・上市駅


改札口を出て左側にバス乗場があります。ここには奈良交通・大淀町のふれあいバス・川上村のやまぶきバスの乗場となっていますので、吉野町スマイルバスを確認して乗車して下さい。

 

 

■宮 滝

ここには飛鳥時代に建てられた吉野宮と、奈良時代の吉野離宮が建てられました。

兄天智天皇の病気平癒祈願の名目で吉野を目指した大海人皇子は、2日で吉野に着いたと言います。

又歴史資料館横の小高い丘は、持統天皇が吉野行幸の際、ここで青根ケ峰を遥拝し、日照りの時には降雨祈願。長雨の時には雨が止むように祈願したといいます。

大海人皇子と、うの皇女は半年以上吉野で充電し、戦いに備えてパワーアップしました。

 

■歴史資料館
ここを拠点として万葉歌人は、様々な吉野の歌になるこの歴史資料館付近に吉野宮はあったとされています。

景色を求めて歩いたのかもしれません。

ここにも万葉歌碑が建てられました。

「かはず鳴く吉野の川の瀧の上の

馬酔木の花そ末に置くなゆめ」 万葉集巻十-1868 読人知らず

意味は「カジカが鳴く吉野川の激流のほとりに咲く馬酔木の花です。決して粗末に扱ってはなりません。」

■宮滝・柿本人麻呂



旧中荘小学校前にあるのが、この万葉歌碑です。

持統天皇が吉野宮に行幸の際に同行した柿本人麻呂が作った歌で

「やすみししわご大君の聞し食す天の下に

国はしも多にあれども山川の清き河内と御心を吉野の

国の花散らふ秋津の野辺に宮柱太敷きませば百磯城

の大宮人は 舟並めて朝川渡り船競ひ夕川渡るこの川の

絶ゆることなくこの山の いや高知らす水激つ瀧の都は

見れど飽かぬかも」     万葉集巻1-36 柿本人麻呂

意味は「わが大君のお治めになる国はたくさんあるが、山や川の美しい河内とみ心をお寄せになる吉野の国の、花が散る秋津の野辺に、宮柱を太くお立てになって宮殿を営まれると、大宮人たちは船を並べて朝の川を渡り、夕を競って夕べの川を渡る。
この川の流れのように絶えることなく、この山のように高く立派にお治めになる水流激しい瀧のほとりの宮居は、いくら見ても見飽きないことだ」

反 歌

「見れど飽かぬ吉野の川の常滑の 絶ゆることなくまた還り見む」

万葉集巻1-37 柿本人麻呂

意味は「いくら見ても飽きない吉野川、この川の常滑のように、絶えることのないように、瀧の都をまた訪ねきてみよう」

 

■喜佐谷・弓削皇子

喜佐谷に入ってすぐの民家前に弓削皇子が作った万葉歌碑があります。

「瀧の上の三船の山に居る雲の

常にあらむとわが思はなくに」

万葉集巻三-242

意味は「吉野川のほとりにある三船の山にかかっている雲が、いつのまにか消えゆくように、いつまでも生きてゆけようにとは私は思えない」

弓削皇子は天武天皇の第6皇子で、万葉集には8首収録されており、天武天皇の皇子の

中では最多です。政治より歌の世界に生きた皇子のようでした。

梅原猛氏は著書「黄泉の王」で、高松塚古墳の被葬者はこの弓削皇子ではないかとされています。

 

■桜木神社・山部赤人

桜木神社境内には山辺赤人の万葉歌碑があります。
「み吉野の象山の際の木末には

ここだもさわく鳥の声かも」

万葉集巻6-924 山部赤彦

意味は「み吉野の象山の山あいの木末では、

たくさんの小鳥が鳴き騒いでいる。」

屋形橋を渡り桜木神社正面に拝殿があり、拝殿の両側は一段高くなって石灯籠が並んでいます。
その右側に自然石の万葉歌碑があります。山部赤人は柿本人麻呂とともに歌聖と称される歌人で、誰もが知っている百人一首の「田子の浦うち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」は、彼の和歌です。

 

■激つ河内
 河内とは、まわりを川にかこまれたその内なる地のことをいい、宮滝はまさしくその地形です。

たぎつとは水が激しく流れる。水が逆巻きうねる様をいい、宮滝の当時の水量を物語っています。

川幅が狭く水量のない飛鳥川しか見ていない天上人にとって、吉野川の風景は日頃のストレスを癒してくれたのでしょう。

 

■万葉の道登り口・読人知らず

喜佐谷の一番奥で、吉野山に上る登り口に歌碑があります。
「皆人の恋ふるみ芳野今日見れば

うべも恋ひけり山川清み」

万葉集巻八-1131 読人知らず

意味は「皆が行ってみたいというみ吉野を今日見ると、

なるほどそう思うのはもっともなことだ、山も川もこんなに

きれいなのだから」。

 

■菜摘・湯原王

菜摘の十二社神社境内にある湯原王の万葉歌碑です。
「吉野なる夏見の河の川淀に 鴨ぞ鳴くなる山影にして」

万葉集巻三-375 湯原王

 

意味は「吉野にある菜摘の淀で鴨が鳴いている。

あの山陰の向こうで」

湯原王は天智天皇の皇子・志貴皇子の子供。天武系統に皇位継承が移った為、彼は文化の道に生きた皇族のようでした。
夏見とは菜摘のことで、宮滝も含めてこの付近には御園など雅な地名が地名が今も残っています。

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