吉野の地名⑦ 六田

吉野中央部 上市周辺

吉野町史によると、ムタ、ヌタ、ノタ、ニタ、ウタは湿地を意味する語で、ムタは九州地方では普通名詞として用いている。十津川の沼(ヌタ)田原も湿地帯で、猪が湿地の泥を全身に塗り、痒みを防いだ痕跡がよく認められ、ヌタを注意すれば猪の生息地が判明するといわれた。と説明されています。六田は奈良期から見える地名で、古くは「むつた」と呼ばれていました。修験の行場の一つの「むだのわたし」もあった場所。また万葉集の巻七1103「今しくは見めやと思ひし芳野の大淀川を今日見つるかも」と1105の「音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも」があります。近代では大正元年に、吉野鉄道の終着駅がここに開通します。ここから「柳の渡し」を渡り、吉野山へ登る道筋は見物客で賑わったそうです。駅では客の荷待ちや人力車が待機していたようです。更に旅人宿や料理屋も多くあったそうです。昔は櫻の吉野山へは、六田の一の坂から長峰を通って吉野山へ行くのがルートでした。古代より六田は交通の要所となっていた場所でした。

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