見聞遊学の旅②

スマイルバスで行く吉野

「吉野の能楽の地を歩く」後半は勝手神社からです。勝手神社は「国栖」「二人静」の舞台でもあり、更に「吉野天人」「吉野静」ゆかりの地でもあります。池田先生によると、実はこの勝手神社には元雅が作ったと言われる「吉野天人」に似た「吉野琴(吉野山)」がありました。この演目はその後廃絶されましたが、3年前に京都観世会が復活されました。吉野琴は勝手神社の裏山の袖振山に2人の天女が舞い降り、自分達はその昔、天武天皇に舞い降りたのは自分達だと伝えます。天武天皇は倭国から日本を作り、更に芸能を含む中央集権を果たますが、後には天智系が主流となります。また元雅を支援したのは越智氏の流れを酌む越智観世。越智氏は南朝支持派であったので、室町幕府も安定期にさしかかっていたものの、全国に南朝・南朝に心寄せる勢力もあったので、元雅は幕府に迫害されていったといいます。そして一行を載せたバスが最後に向かったのは、そんな境遇下の元雅が尉の面を奉納した天河弁財天です。天河弁財天で我々は正式参拝をさせて戴いた後、柿坂若宮司から弁財天と能楽のお話を戴きました。一日で吉野の能の故地を巡り、池田先生より、吉野の能(国栖や吉野山)が当時の政権にとって、不都合の存在だったこと。そして観世の主流が世阿弥・元雅の系統から京観世に移っていった事。そんな京都観世会が、吉野と京都の恩讐を越え、500年ぶりに復曲能「吉野山(吉野琴)が上演された背景を見ると違ったストーリーが見えてきます。

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