町制60周年 中龍門村を考える

吉野北部 龍門・中龍門方面

%e4%b8%ad%e9%be%8d%e9%96%80%e4%b8%89%e8%8c%b6%e5%b1%8b中龍門村は、明治23年香束・柳・色生・小名・北大野(後の三茶屋)が龍門村から分立して出来ました。江戸時代には三茶屋付近を伊勢街道が通り、上茶屋・中茶屋・中や三軒の茶屋があったことから、この名称になったといいます。中茶屋には、紀州候から拝領した兎と波の模様のある茶釜や、菊の紋入りの「桜組定宿」」などの看板も保存されています。又町村合併までの中龍門は、上市(吉野)と松山(大宇陀)の2つ経済圏に分かれていたといいます。その為、旧松山町が上龍門の村々を併せて新大宇陀町を作った時も、三茶屋・小名・色生三大字はしきりに勧誘されたと「吉野町史」には書かれています。この時に三大字が勧誘を受け入れておれば、現在の吉野町の面積は今より小さいものになっていたでしょう。

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