和田さんへの追悼と感謝のメッセージ

吉野なひと 50人

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5月29日が吉野の匠:和田奈良一の四十九日です。

このに日に併せて、吉野スタイルでは和田さんに感謝の意味を込めて

カメラマン山本茂伸さんによる和田さんの在りし日の作業風景や、

和田さんが作られた商品の映像と共に、皆様に和田さんの軌跡を紹介します。

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和田さん、長い間本当にお疲れ様、そして有難うございました。

私が和田さんと初めて出会ったのは、平成16年のことです。

吉野町商工会で新しいプロジェクトに取組んでいた時です。

吉野の地域資源(吉野杉・吉野桧・和紙)を使って、

世界に通用する商品づくりをしようというスローガンの元、

割箸業者・和紙職人・灯り作家さんらが集まりました。

 

そんな中に建具職人の和田奈良一さんもいました。

髪は五分刈りで短く、頑固な寿司職人のような感じで、

最初は一見とっつきにくいような印象の和田さんでした。

後で本人から聞いた話で、最初は料理人になろうかと迷っていた

時代もあったそうで、あながち寿司職人のイメージも離れていなかった事になります。

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商品デザインを決める会議でも、デザイナーが木の特性を無視した

デザインを提案すると、それは違うとはっきり主張し、

真っ向から自らの意見を通しました。

しかし、それは木の性質を熟知していた和田さんだから言えた事でした。

素材の中でも木は反るし割れるし縮むやっかいな素材。

机上のデザインや合理性では出来ないシロモノだったからです。

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和田さんは若い頃、法隆寺や薬師寺を改修した偉大な宮大工

西岡常一氏と仕事をした事もありました。

何か和田さんは西岡棟梁と重なるイメージがあります。

現場で積み上げた経験を元に、確かな技を持つ職人でした。

そんな頑固な職人さんも、このままではダメだという危機意識がありました。

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和田さんは、お父さんから続いた吉野材を扱う建具職人さんで、

時代の変遷で日本人のライフスタイルの変化と共に、

日本国中から和の空間が減っていきました。

そんな中、当然欄間など建具のニーズも減っていきます。

そんな時代の変化を肌で感じ、

人一倍危機感を持っていたのも和田さんでした。

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それぞれ出来上がった商品の評価を受ける為、東京のビックサイトや

いろいろな百貨店でPRにも行っていただきました。

そんな中で率先して和田さんは、自分の商品だけでなく、

吉野材の特徴、そして吉野の事を伝えて戴きました。

そしてお客様の声に耳を傾け、商品づくりを続けてくれました。

 

すぐには結果につながりませんでした。

しかし結果は思いがけずやってきました。

深夜の東京ローカルTVで、奈良出身の堂本剛君がロケの中で

表参道にあった全国商工会連合会のアンテナショップにあった

和田さんの七宝模様の照明器具を購入した映像が流れると、

決して安くない商品に、すぐにメールで30近い注文が届きました。

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この前年、当時既に有名だった「くるみの木」のオーナーの

石村由紀子さんが、こだわりの逸品を探して吉野に来られました。

そこで和田さんの商品に目が留まり、翌年の石村さんプロデュースの

うめだ阪急百貨店での「ならもの展」ではブースを戴きました。

ごくわずかなブースでしたが、和田さんが作る精緻な技に多くの人が

魅せられました。多くの方々が和田さんの商品を求めて戴きました。

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これを機会に多くのマスコミやネットで取り上げて戴き、

その結果本業だった建具をやめて、消費者向けの商品作りに専念しました。

その商品は吉野材・吉野和紙だからの美しさが現れていました。

そして建具職人の匠だったから出来る精緻な芸術品そのものでした。

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和田さんのお名前は奈良一さんといいます。

和田さんの名刺を受け取られた方は、必ず奈良で一番と読まれます。

しかし私は、日本一の職人さんだったと思っています。

本当に和田さんを失ったことは、吉野の宝 いや日本の宝を失ったことになります。

吉野にとっては大きな損失です。

しかし、和田さんを通して数多くの方が吉野に思いを寄せ、

吉野ファンになっていただきました。

そんな和田さんに感謝の意味を込めてメッセージを送らせて戴きました。

 

吉野スタイル 磯﨑

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