第九話 金峯山寺 田中利典宗務総長

吉野なひと 50人

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吉野山に雪がちらつく年の瀬、田中利典さんを訪ねました。
「金峯山寺の利典さん」と言えば、偉い方で、アイディアマンで、とんでもなく忙しくなさっているとのもっぱらの話。
やや気後れしていたのですが、実際の利典さんは、とにかく気さくに話してくださいます。一つひとつの質問(ずいぶん拙いものでも)に、耳を傾け、考え、たっぷりと。
予想と違いましたといささか失礼な感想をお伝えすると、「修験の寺だからか、敷居を高く感じさせるようでね」とにんまり。

いろんな人が「田中さん」ではなく「利典さん」と呼ぶ理由、なんとなく分かります。そこで、ここでは厚かましくも「利典さん」と呼ばせていただきました。

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2012年、JR東海のCMに金峯山寺が登場しました。このとき映像になった秘仏、金剛蔵王権現のお姿は、首都圏を中心に一大旋風を巻き起こします。
「あのときもJR東海さんは、金峯山寺を撮りたいと思いつつ、まず難しいだろうと思っていたそうです。直接ではなく、興福寺さんを通してお話があって。我々はというと、仁王門大修理の浄財勧進のため、金剛蔵王大権現像三体を向こう10年間にわたってご開帳申し上げることを決めたばかりでした。人のつながりとタイミングがぴったり合って実現できたなぁと思っています。蔵王権現様の思し召しだったのでしょうか」。

秘仏であるがゆえ人目に触れる機会のなかった金峯山寺の蔵王権現。
実のところ、吉野の人もよく知らないという状況がありました。が、「元々は秘仏ではありません。本居宣長も『菅笠日記』の中で拝んだと書いています」と利典さん。
明治時代に出された修験禁止令、廃仏毀釈。あの時代に「五條の代官所から権現は祀ってはならぬから、外に出して壊せ、という命令が来ました。
実は蔵王堂は蔵王権現を造りながら建立された建物で、蔵王堂を壊さないと権現様を外に出すことは出来ません。それで、前の扉を閉めて、鏡を置き、復職神勤して、お守りしたのでした」と。
多くの権現像が破棄されたなか、当時の関係者の皆さんの決死の行動があって、今、私たちは、あの青く猛々しい金剛蔵王大権現像を金峯山寺で拝むことができるのですね。

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10年連続のご開帳もまた、現在、金峯山寺を支えておいでの皆さんの一大決心あってのことに違いありません。
「権現というのはね、『仮に現れたもの』という意味です。せっかく現れてくださったものを隠してどうする。しかも、あの大きさです。あの大きさは、拝んでこそ意味を持ちます」と話す利典さん。
秘仏としたものを再び人々の眼前にというハードル、これからの10年とその後に対する責任。利典さんのきっぱりとした言葉と強いまなざしに、「腹を括る」ということについて考えないではいられませんでした。

京都・綾部ご出身の利典さんが初めての吉野を訪れたのは5歳。山伏だったお父様に連れられ山上ヶ岳に登ったときのことだそうです。その後、15歳で得度、夏には金峯山寺東南院で宿坊のお手伝いをするのが毎年の習い。大学を経て、金峯山寺に就職、以来33年。現在は宗務総長として日本中を行ったり来たりの毎日です。
「お寺にいて、外の人と関わりを作れる環境においていただけるのは、なかなかない。ありがたい状況を無駄にはできません。本当のお付き合いというのは、人と人が作るものですからね」。
会いたい人には会いに行く、話をしてくれと言われたら出かけて行く。シンプルにずんずん行動する利典さんは、吉野で一番マイルが貯まる人かも知れません。実際にマイルを貯めておられるかは聞き損なってしまいましたが。

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利典さん、ここ数年来「修験道ルネッサンス」を唱えておられます。これは、「役行者により開かれた修験道を今一度紐解こうということです。
日本の文化史・宗教史において、修験道、役行者が果たした役割を考えること、正当な評価を得ること」。このフレーズは、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、和歌山県・三重県・奈良県にまたがる3つの霊場と参詣道がユネスコ世界遺産に登録されたことと相前後して、よく口にされるようになったそう。
「最初はね、それぞれバラバラに世界遺産登録を目指しておったんです。その中で紀伊山地全体として手を挙げようではないかと、まぁ私が言いだしまして(笑) 当時の奈良県庁職員さんの働きなど、多くの方の力を借りて実現しました。このときもやはり蔵王権現の思し召しだったのではとね。そう感じることがたくさんあります」。
3つの自治体にまたがるという稀な世界遺産登録は、修験道という日本独自の宗教観があればこそ。そこから10年、神仏習合の機運は着実に高まりつつあります。

世界遺産登録10周年の迎えるにあたって、何かご予定はありますか?
「一番の柱は『国宝仁王門平成大修理勧進・世界遺産登録10周年慶讃 蔵王堂秘仏ご本尊特別ご開帳』です。3月29日~6月8日と、11月1日~11月30日の2回行います。付随して写真展などもしますよ。秋には記念イベントでシンポジウムが開催されます。また11/12~11/16には役行者ゆかりの霊場会の出開帳をね。出開帳というのは、出張開帳のことです。お寺はね、より近しい場所になっていいと思っています。権現さんは催事や歌舞音曲がお好きなんですよ。これまでにも境内でコンサートなどありましたが、ご供養になることだと思っています。皆さんに大いにお寺を使っていただくべきだと。よほどのことでなければね(笑)」

この発言を受けて、恐る恐る(かつ図々しく)、こんなことを訊いてみました。あのですね、実は吉野スタイルには野望がありまして、金峯山寺で野外能上演をしたいのです。能舞台には吉野ヒノキが使われていて、演目は『国栖』でしょうか。吉野の地名が題目となったこの物語には蔵王権現が現れますから─。
すると、「僕は『嵐山』やってほしいなあ。京都の嵐山、あそこは吉野山の移築なんです。嵐山もみじまつりは、蔵王権現まつりなんですよ」と、利典さんから思いのほか嬉しい切り返しが。
『嵐山』は桜咲く京都の嵐山が舞台です。この嵐山の桜は吉野山の桜を移して植えられたもので、物語中、吉野ゆかりの木守(子守)と勝手という夫婦の神様が現れます。そしてクライマックスでは蔵王権現が登場、衆生を救い、世が栄えることを祝うという物語。あぁ、いつか上演が叶ったらと思うと大興奮です。


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いただいた時間の最後、「吉野で暮らす人へのメッセージを」とお願いしました。少し首を傾けて目を瞑った後、利典さんが答えてくださったことを記します。
「近代以降、世界を一つの価値観に合わそうとしていますね。しかし、ものごとというのは特異なものでないと、一般を代表し得ません。昭和で言えば、美空ひばりや石原裕次郎。彼らは規格外の存在だからこそ、普遍足り得るのです。吉野という土地もまた然り。吉野の風土、歴史を知り、きちっと発信すること。金峯山寺は極めて特殊な存在です。そこに触れることで、吉野らしさを象徴し、守ることになる。吉野で生きること、吉野を生かす上で大事なのは、世界基準ではなく、ローカリズムですよ。……どう? わりと上手いこと言えてるやろ?(笑)」。

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最後の最後までサービス精神旺盛でした。にこにこ顔と冗談、すっと差しこまれる鋭い視線や深い覚悟、そしてまた茶目っ気たっぷりの笑顔。楽しい冬のひとときを頂戴しました。ありがとうございました。2014年のご開帳も、きっと拝観させていただきます。

ライター:砂川みほ子

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