吉野の地名⑳ 国栖(くず)

吉野中西部 中荘・国栖方面

p083 天満屋芝居 11

新子を東に進むと国栖地区になります。国栖は国に住む者の意味で、古くから集落があったことを意味しています。神武天皇の東征の際、岩を押し分けて出てきた尾っぽのある石押分之子に出会います。彼は国樔の祖ともされています。また縄文由来の土着勢力の土蜘蛛ともされました。国栖地区にいる人々のパワフルさは、このDNAから来ているのかもしれません。またここは窪垣内と同様和紙の盛んな地区でもありました。また新子・国栖地区は経済の中心地で、「天満座」という芝居小屋がありました。大正12年にこけら落とし、回り舞台・花道・奈落・二階桟敷もある立派なもので、昭和に入り映画も上映されるようになり、ここは近郷近在の娯楽の殿堂でした。平田オリザが豊岡に作った演劇の殿堂や、鈴木忠司が富山県利賀村でおこしたムーブメントに近いものを感じます。この写真は本迫宏典氏からお借りしました。

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