天誅組激戦地と古代史を巡る

スマイルバスで行く吉野

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昨日は「しもいち天忠さきがけの会」主催の『天誅組激戦地と古代史を巡る』に参加しました。それぞれ行動に対する歴史的評価と、地域の評価は場所によって違います。この明治維新の魁となった天誅組の評価も場所によって違うのです。東吉野は天誅組終焉の地として悲劇のヒーローとして捉えられていますが、一方下市では全く違う捉え方をされていました。天誅組の焼討ちで下市の町中が大火事となり、それ以来下市の人は天誅組を快く思っていない人が大勢いて、下市では「天誅組」のことは長らくアンタッチャブルでした。これは吉野町の「龍門騒動」とよく似ています。下市でも150年以上経った今、もう一度地元の歴史として「天誅組」を見直す機運が起こり昨日に至りました。4年前には橿原の表具の裏張りから古文書が見つかり、そこには敵方も含めた放火の事実が乗っており、天誅組の名誉が一部回復されています。栃本では幕府側から発射された砲弾の後や天誅組志士のお墓が残る永全寺。志士たちも見たであろう広橋峠からの景色。そして丹生川上神社下社の宮司で天誅組に参加したイケメンの橋本若狭など、本当にディープな発見があったツアーでした。

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