神武が出逢った尾のある人々 下見2

スマイルバスで行く吉野

阿田神社

見聞悠学の旅2019「神武が吉野で出会った尾のある人々」で次にご案内するのは、贄持之子の伝承地です。古事記では「吉野河の河尻に至りましし時、筌を作せて魚を取る人有りき」と書かれ、阿陀の鵜飼の祖とされています。吉野河の河尻という記載と阿陀とい地名から、最後は五条の阿陀比売神社にご案内します。この五條市南阿田町には今も梁漁が続いています。このシリーズの原点となるのは、前登志夫さんの「吉野紀行」です。この中には神武と大海人皇子をオーバーラップさせています。その中で大海人皇子の吉野潜隆の主題として、大海人皇子と生尾人の出会いを書いています。「生尾人とは、倭国家を創建した人達には異様な霊力を持った先住の種族の姿であり、尾が生えており、妖しく光る物であった。まさしく縄文的生命の根強い生き残りの姿にほかなるまい。そした生尾人は、国原の人々から軽視されつ、つ、畏怖された土蜘蛛と呼ばれ、井光や国栖とも称された。壬申の乱を倭国家を形成した弥生的種族に対する、縄文びとの最後の復讐の戦いでもあったともいえる。」と書かれています。我々吉野びとは縄文人の生き残りで、異様な霊力を持った人々でした。そんな吉野びとのルーツを探る旅でもあります。

 

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