吉野の民話8 「後醍醐天皇」 伝承地:吉野町吉野山

吉野山を歩く

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吉野には「歌書よりも軍書に悲し吉野山」(吉野の自然、桜の花のへ美しさを詠んだ歌の本もたくさんあるけれど、戦いで多くの人々がこの吉野山で悲しい思いをした)という言葉が残されています。

源頼朝によって開かれた鎌倉幕府も百五十年たらずで幕を閉じました。その後、後醍醐天皇の「建武の新政」の時代を迎えます。しかし建武の新政も長くは続かず、再び内乱の時代になりました。吉野の南朝と京都の北朝にわかれて戦いを繰り返したので「南北朝時代」と呼ばれています。

京都を追われた後醍醐天皇は京都の南、笠置山へ、お逃げになりますが、この城も落とされてしまいます。後醍醐天皇は夜のうち、敵に気づかれないように逃げようとしました。しかし道に迷ってしまいどうしようもなくなった時、三つの灯火が道の先々に灯って吉野山まで

ずっと後醍醐天皇をご案内しました。

三つの灯火は蔵王堂のあたりですーと消えました。灯火が後醍醐天皇を吉野山に御導きしたということで「導きの稲荷」として今でもまつられています。これで語り伝える吉野の民話はおしまいです。

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